蹴鞠(けまり)について

蹴鞠は8名(又は6名)が1グループとなり、鞠を足で蹴って地に落さず、 手を用いず独特の装束をつけて、鞠庭で蹴りつづけて楽しむものであって、勝ち負けはない。 又、時間の区切りに厳格な取りきめもない。―座(グループ)のリーダーがメンバーが楽しく時を過し、ちょっと休みたくなった頃にやめる訳である。普通は10~15分で終る。始め・終り・途中の動作に作法と言うべきものが多くあり、見ている人々の見苦しく感じられない作法が定められている。老若男女・上手下手、貢賎を問わず、互いにメンバーの中の相手に蹴りよい鞠を蹴渡して 共に楽しむのである。

蹴鞠の歴史

今から凡そ1400年前、中国から伝わったと言われ、 中大兄皇子と藤原鎌足が飛鳥の法興寺(現・飛鳥寺)で蹴ったのが最初とされ、 以来歴代天皇始め宮中の高官・ 将軍・大名・室町江戸時代では庶民に至るまで広く行われたが、明治維新頃には―旦跡絶えた。明治38年、明治天皇の御下命により当蹴鞠保存会を創立して現在に至った。

鹿の皮を2枚円形(直径30~36cm)にして、毛の方を裏(内側)にして、独特の半なめしの状態にして互に縫い合せて球形にする。縫う方法は馬の背の皮(真皮)をあけ、そこから大麦をつめて、球形に張りふくらませ形を整え、表面に膠を塗り、その上に鉛白にて化粧して後、内容の大麦を取り出して小穴を閉じて用いる。直径は17~18cm、重さ約150g、勿論ハンドメイドであるから、形の大小や軽重は避けられない。

装束

○鳥棺子(エボシ)
侍・風折・立の3種類を用いる。

○鞠水干(マリスイカン)=上衣
生糸(練ってない)を用いて紗と言う織りにする。古くは束帯・直衣・直垂・狩衣等でも蹴っていたが、後鳥羽上皇の時代から鞠専用のものが定められた。種々の色や紋・刺繍等を組合せて階級とした。

○鞠袴(マリパカマ)
葛の繊維を煮て水に晒して用いる。 これにも各種の色分けがあり、又、下濃(スソゴ)と言って裾のみ染色して、 上方は無地のものもあり階級がある。

鞠庭

鞠を蹴る場所を鞠庭・鞠場・鞠懸(マリガカリ)と言う。広さ凡そ14m四方で、テニスコートの様に平坦で水はけのよい土地がよく、鞠庭四隅の稍内側に、松・桜・柳・楓の木を植える。高さは4~5m。尚、地中に壷を数箇埋めて蹴った鞠の反響をよくする。

蹴り方

鞠庭に出入りするにも作法があり、鞠を蹴る時もその姿勢が極めて大切である。即ち腰や膝を曲げる事なく、足の高さも足裏の見えない程度にあげ端正優雅を要する。鞠を蹴る時のかけ声には、「アリ」・「ヤ」・「オウ」の三声がある。これは「マリヤー」でもなく、又相手の蹴る意志を問う「アリヤーナシヤー」の意でもない。鞠の神の名を称え乍ら蹴って合図とする。掛け声の長短・抑揚によ り鞠の受け渡しを正確にして、鞠を奪い合ったり受けそんじのないようにする。

蹴鞠の本質

スポーツには幾多の種類があり、ボールを扱う競技も実に多様であるが、この蹴鞠には勝敗がなく、上手な人は蹴り易い鞠を相手に与えるのが蹴鞠の道とされている。この無勝負と言う事は―見興味のうすい無刺激なものと誤解されるが、勝敗がないにも拘らず、勝敗以上の尽きる事のない津々たる興味があり、蹴鞠をした後の気分も晴ればれとして気持ちがよい。 他のスポーツでは、勝ったチームは楽しいが、敗けたチーム側は悲しみにひたらねばならない。又、年令や性別に関係なく、各人各様の体力に応じた全身運動になる。 親・子・孫に三代が―緒になって鞠を蹴った記録もあり、 女房や女官たちの蹴鞠の図が版画や草紙の類に画かれている。以上でおわかりの様に、蹴鞠は余り場所を必要としない、比較的短時間でも利用出来、健康によい万人向きのスポーツとしても、又勝敗のない点、誠にのどかなリクレーションとして、 昔から現在に至るまで行われ続けられた我国の国技と言う事が出来る。

文責 蹴鞠保存会