談山神社について

御祭神 藤原鎌足公

舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。

たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、 西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。 天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、 大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。 藤原の姓はここに始まります。

足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。 大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。

近畿迢空会(きんきちょうくうかい)

―釈迢空・折口信夫(しゃくちょうくう・おりくちしのぶ)博士の全国唯一の顕彰会―

折口信夫博士は、大阪出身。祖父は奈良飛鳥の生まれ。國學院大学、慶應義塾大学、両大学の教授を歴任した。国文学・民俗学の学者。また釈迢空という筆名で歌人、小説家、詩人、戯曲家としても知られる。歌人としては斎藤茂吉に並ぶ近代短歌の父。その学問は、国文学・神道学や古典芸能を民俗学の視点から考究するという独自な方法を生み出した。それを通称「折口学」と称している。小説『死者の書』は近代文学の傑作といわれ、人形アニメ(川本喜八郎監督)として上映された。

会長・鈴木正彦(和洋女子大学名誉教授・折口信夫の直門)

折口信夫ゆかりの地を探訪、講演会、芸能鑑賞、研修旅行などの例会を行っている。年会費・3000円(入会金なし)。どなたでもご入会出来ます。お問い合わせ下さい。

談山雅楽会(たんざんががくかい)

―談山神社の私設・雅楽研究会。演奏奉仕のアマチュア団体―

談山神社に所属する雅楽研究・演奏奉仕の団体。談山神社の「けまり祭」などの祭典・行事に奉仕し、また、桜井市内の等彌神社、與喜天満神社の祭典にも出向演奏している。海外フランス公演も行っている。希望があれば、各種団体、施設、学校、社寺などにも出張して演奏します。談山神社の社務所にて、毎月日曜日(不定期)に練習会を行っている。

代表・松本永二郎

会費なし。どなたでもご入会出来ます。お問い合わせ下さい。